教育について考える

いま、まさに研修中の身である僕は教えてもらう身である。しかし、そう遠くない未来に、自分も教える側に回ることを考えれば、”教える”とはどういうことかを考えるのは無駄ではないと思う。というか近い将来、バイトに指導していかなアカンのだ。なので、ちょっと考えてみた。

□まずは雰囲気作り

まず”教わる”側の立場に立って考えてみる。教わる側にとって、最も気にするのは「相手は仕事の時間を割いて、教えてくれている」ということ。先輩や上司は自分の仕事の合間に教えてくれるのであって、決して教育のために職場に来ている訳ではない(まれにそういう人もいるけど)。だから、教えてもらうときにはけっこう気を使うのだ。だから、質問したときに「あ?」とか「あん?」みたいな感じで、いかにも面倒くさそうに答えられると、次から質問しづらくなってしまう。
なので、自分が質問されたときには面倒くさがらず、ていねいに教えてあげたいと思う。質問しやすい雰囲気を作ってやり、積極的に質問をさせることが、教育の第一歩じゃないかと思う。こっちから「何かわからんことあるか?」と聞いてやるのも有効だろう。

□技術は盗ませ、実務は伝える

仕事は先輩の方法を見て盗むものだ、と考えている人は実は多いんじゃないだろうか。ただ、これは技術についてはその通りだと思うのだけど、実務についてはまったく当てはまらないと思う。ここで言う実務とは、いわゆる事務的な業務のことで、伝票の記入方だとか、報告書の体裁だとか、報告や連絡の仕方だとかそういうやつのこと。たまに「見てたらどうすればいいか分かるでしょ?」という人がいて、何も口頭で教えてくれない人がいるんだけど、この方法で正しい実務を理解できる人はそうはいないと思う。ちゃんと口頭で正しい方法を伝えないと、正しい理解で伝わっていかないのだ。そして、これをしっかり伝えるのは先輩、上司の義務である。
まぁ仕事の効率のいいやり方とか、ちょっとしたコツなんかは、ヒントやアドバイスをあげて、あとは自分でやりやすいように工夫させたらいいと思う。そんなことまで懇切丁寧に教えてやる必要はないかな。

□間違いを正し、無駄を省く

仕事に失敗はつきもので、まだ経験の浅い人だとなおさらだろう。間違うことだってあるし、仕事に無駄も多い。
間違いを犯したときに、なぜそれが間違いなのか、間違うとどういうことになるのかということを教えてやるのも教育のひとつだろう。とくに間違ったらどういう結果を引き起こし、そういう責任が発生するかをしっかり教えないと、何回でも同じ間違いを繰り返すかもしれない。それだけは避けたい。
仕事に無駄があるときは、何が無駄なのかを教えてやりたい。無駄な仕事の仕方をしてる場合、たいてい本人は何が無駄なのかに気づいていない。そこから脱却して効率のいい仕事の方法を覚えるには、まず何が無駄なのかに気づいて、それを省くためにはどうするかを考えるというプロセスを踏まなくてはならない。この「何が無駄か」に気づくのに意外と時間がかかることがあるのだ。だったらその「無駄」くらいは教えてやって、それをどうやって省くかは自分で考えさせるのがいいだろう。と、これは上にも書いたか。


で、実際に教育をしないといけなくなったときに、一番気をつけたいのは「私憤」を持ち込むこと。その日の気分や、後輩や部下に対する「気に入らない」という感情で、教えたり教えなかったり、手を抜いたりしないこと。どんなときでもきちっと教える。これができてこそ、一人前の社会人であり、会社人なんじゃないかと思う。お、ちょっと上手いこと言いましたよ。

えー、理想論みたいなことをぐだぐだと書いてきましたが、思いつきと勢いで書いているので、その辺は気にしないでやってください。まぁ僕はこうありたいと思っている、ということでひとつ。