無題

 とある村の、とある博物館。地下に降りる階段の先には喫茶店がある。落ち着いた雰囲気の店内には、無口なマスターがひとりカップを磨いている。ふだんはゆったりとしたBGMが流れているが、店内には簡単なステージがあつらえてあり、週末にはライブ演奏が行われているようだ。
 一滴、また一滴。ゆっくりとサーバに落ちていくコーヒーを眺めていると、まるでここだけ流れている時間が違うようにも感じられる。過ぎ去って行った時を、ここで取り戻せるんじゃないか。そんな淡い期待が、僕らをこの店に導くのかもしれない。ほら、今日も……。
 カランコロンカラーン。
 女がひとり、店のドアを開けて入ってきた。カウンターには男がひとり、コーヒーをすすっている。女は男の隣の席に腰掛けた。
「ここ、あいてますかしら?」
「おや、珍しいね。君とこんなところで会うなんて」
「ふふ。この時間はいつもここだって聞いたもんやから、ちょっと寄ってみたの」
 男はカウンターの向こう側にいる店のマスターに一瞥をくれるが、マスターは気づかない振りをしている。
「マスター、彼女にもコーヒーを。せっかくだから、ミルクたっぷりで。それでいいかな?」
「ええ。ありがと」
 かしこまりました、マスターは彼女の返事を待ってから静かに準備を始めた。
 しばらくの間、二人は取りとめも無いことを話した。他愛も無い世間話や、お互いの家族のこと。そうすることで二人の距離が少し縮まったのか、それとも元に戻ったのか、二人が並んで座っている様はとても自然な姿に見える。前にもきっと、こういうことがあったのだろう。
 話が尽きたのか、彼らの間にしばしの沈黙が訪れる。女は余韻を楽しむかのようにコーヒーを味わっている。しかし、男は何かを言おうとして、そのきっかけを探しているようだった。二人のカップが空になった頃、男は意を決したように話を切り出した。
「そういえば最近、あいつが君の店に顔を出したそうだね」
「え、ええ。なんや、あなたのところにも来たの? 彼」
「いや、こっちには来ていないよ。ただ、最近このあたりに顔を出していると聞いてね」
「じゃあこんどウチに来たら、あなたのところにも顔を出すように言っておくわ」
「そんなことはしなくてもいいよ。それに、僕はあいつに会う気は無い」
「そう……。まだあの時のことを許せないんやね」
「ああ、僕はあいつがしたことを一生許さない」
「でも、あれから10年よ。そろそろ許してあげぇや」
「バカ言っちゃいけない。僕はあいつのせいですべてを失ったんだ。そう簡単に許してたまるか」
「たしかにあなたはすべてを失ってここに帰ってきたわ。それから必死になってやってきたんも知ってる。でも、今のあなたは立派なデパートのオーナー。あの日に失ったものはすべて取り返したはずやで」
「それとこれとは話が違うよ。あの日に受けた屈辱があるから今の僕があることは認めるけど、それと引き換えに失ったものは大きすぎる」
「そう……。そんなら、いいこと教えてあげる。あなたの銀行口座に、毎月匿名で寄付があるわよね」
「ああ、まだ小さな商店だった頃から毎月10万、振込みがあるんだ。どうして君がそんなことを知っているんだ?」
「あれ、彼なんよ。本人から聞いたの。口止めされてたから今までだまっていたけど」
「ふん。そんなことはとうに気づいてるさ」
「そうなん? あなた、知っててあのお金を受け取ってたん?」
「ああ。でもね、僕はあの金には一切手をつけていない」
「どうして? あのお金があったから、ここまで店を大きくできたんでしょ?」
「見くびって貰っちゃ困るな。彼からの援助なんか無くたって、店を大きくすることくらいはできるさ」
「なに? 男の意地ってヤツ?」
「そんなんじゃないけどね。それに、あの金の使い道はもう決めてるんだ」
「どういうこと?」
「あいつは、あんな商売をしてるだろ?」
「ええ、今はかなりあこぎに商売をしてるみたいやわ。敵も多いみたい」
「ああ。あんなやり方をやっていたら、いつかしっぺ返しを食うだろう。何もかも失うかもしれない。昔の僕のようにね」
「あ、まさか……、あなた!」
「そうさ。いつかあいつが金に困ってどうしようもなくなった時に、この金を全部突きつけてやるんだ」
「でもあなた、一生許さないって」
「ああ、あいつがやったことは一生許さないさ。でも、あいつを恨んだことは今まで一度も無い」
「……呆れた。男ってホント素直やないね」
「そうじゃないさ。僕たちはタヌキとキツネだぜ。化かしあってるのさ。だからあいつには黙っててくれよな」
 女は満足したように微笑んでうなずく。そしてマスターは、黙って二人にコーヒーのおかわりを差し出す。そして二人は、また少しだけ昔の二人に戻る。そしていつか……。

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そのむかし、別サイトで書いたとあるゲームの妄想サイドストーリーです。PCのデータを整理していたら出てきて、ちょっと懐かしかったので再アップしてみようかなと。それにしても、もうあの森には帰れないなぁ(笑)。